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Garden History

 

2005年     はじまりは、カラマツ林だった。

 

八ヶ岳の麓に3000㎡のふさわしい用地を3年かけて探したが見当たらず,止む無く1000㎡の富士見高原別荘地、カラマツ林を購入。実現へ、さあスタート! 念願であった退職後の広い土地でのガーデニングに一歩近づく。

 

 

2010年   伐採、伐根、デコボコ斜面。

 

土地確保から5年。やっと東京脱出の条件がそろい、移住の覚悟を決めた。宅地と庭の造成に松の木など100本全て伐採、伐根。クマザザ除去に表土50cm天地返し。しかし現れた造成地は凸凹斜面のため、ブルドーザーの出動で平坦化した。住宅も年末に完成。

 

  

2011年      整地は、難作業つづき。

          

庭づくりの第1歩は整地作業だが難作業続つづき。土の中からはクマザサの茎、大小の火山岩の石、枯れた古枝などが取っても取っても出てくる。痩せた赤土には土壌改良が必要と、酪農家から発酵済み牛フンを4トン車4台分搬入し、農協のトラクターで赤土に混入。この年はガーデニング用地の整地で終わった

 

 

                                                                

2012年   自然は厳しい

 

設計図も2年がかりで完成。ガーデンをフロント部とメイン部区割り、フロントガーデンは正方形の固いフォーマルのイメージ、メインガーデンは曲線を多用して柔らかいイメージをデザインのベースにした。耐寒性を称する宿根草を100以上、バラ50本を植栽。しかしマイナス17度の厳寒にほぼすべての花苗は凍死、バラもビニールの冬囲いで保護したが3割が凍死。標高1240mのガーデニングは難しい。せめて1000mの土地にすれば良かったとの後悔も、時すでに遅し、やるしかないと我を励ます。

アメリカ産の芝種トールフェスクを播いたが運動場用の芝で不適格。思い切って剥がした。鹿が侵入し花苗をパクパク。たまらず鉄製フェンス設置。

 

 

 

2013年       構築物作りに没頭。

 

フロントガーデンは白色花のみのホワイトガーデンとして、木製のフェンス作成。センターの通路の周りに何とか冬を越した宿根草を、フェンスの外周には白バラを配置。いまだ土ばかりが目立つ。つるバラ用に高さ2mのフェンスを作成、これでバラがどんなに伸びても大丈夫。 ウッドデッキの下に用具入れを兼ねたワークスペース作成。堀り出した土は一輪車100杯はあった。

 

 

2014年    メインガーデンの宿根草を約50苗補充。

 

メインガーデンの中央に、アクセントとしてレイズドベッド(高くした花壇)30m作成。匍匐性(ほふくせい)のグランドカバー植栽。イギリス産の芝種を播く。色や細さなど好み通りだ混合種の中の雑種があり、やむなく剥がした。

 

 

2015年    標高1240mで、できること。

 

バラ追加して140本になった。樹木の数も増えて5年もすれば庭を立体的にしてくれそうだ。やっと土が目立たず草花の緑色支配するようになってきたから嬉しいが庭全体の完成度は50%。喜びもつかの間、芝が枯れ始め、また剥がす。 

ホワイトガーデンにタイル張りのテイーラウンジ完成、やっと木陰ができそうだ。

 

 

2016年  メインガーデンのデザイン、大幅改造。

 

英国のBressingham Garden に魅せられ2012年から3年間かけて作ったアイランド ベッド(円型花壇)13個を思い切って廃止。家内のリクエストも受け入れて30mの長い変形ボーダーガーデンに改造。

 

 

2017年   越冬対策に道が開けた。

 

 宿根草のボーダーガーデンへの移植をしたが、冬期の寒さのため枯れ死し、その多さに気づき、ショック。宿根草の苗を補充してなんとかガーデンらしくなった。

極寒の地でのバラ栽培では、2017年冬、ビニールで株全体を巻いたのに70本以上枯れ死。その対策に農家から藁を軽トラ3台分入手して地面に敷き、凍結から守った効果で枯れ死は数本のみだった。それでバラの越冬対策は完成と思われる。

 

 

2018年  芝生に振り回された1年。

 

7月の盛夏に5日間、北海道旅行。楽しんで帰宅したら洋芝が真っ赤に変色、見事に水不足で枯れた。泣く泣く枯れた芝剥がしで年が終わった。

 

 

2019年 バラと宿根草を増強。

 

2017~2018年のバラの越冬が効果を出したので更に60本追加植栽。宿根草も100株以上植えた。